いま、七夕を楽しめる奇跡
朱宮光子内親王のご命日に当たる6日に、毎月開催している写経サロン。
7月のサロンでは翌日が七夕ということもあり、会員の皆さまに短冊をお渡ししています。
彦星と織姫が会うことを許される特別な日・七夕を知らない方はいないでしょう。
そんな七夕の原型は、日本古来の行事・棚機(たなばた)だと言われています。
棚機とは、神様をお迎えして豊作を祈り、集落の穢れを清めるための行事です。
稲の花が開き始めるころ、昔々の村々では一人の乙女を棚機女(たなばたつめ)として選出し、一つの役割を与えていました。
棚機女の仕事は、清らかな水辺に建てた小屋で神様に捧げる着物を織り、棚にお供えすること。
行事の名前は、乙女が使った「棚機」という織り機からきているのでしょう。
「私が知っている七夕とはずいぶん違う」とお思いかもしれませんね。
実は現代の七夕は、織姫にあやかって裁縫や機織りの上達を祈る乞巧奠(きこうでん)という中国の行事が棚機と合わさって生まれたと言われているのです。
彦星と織姫の恋愛譚を背景にした中国の乞巧奠は奈良時代に日本へと伝わり、棚機の風習とまざりあって七夕(しちせき)という宮廷行事となりました。
金銀の針、海と山の幸を祭壇に捧げ、その左右に五色の糸で飾った笹を配した宮廷行事の光景は、さぞかし見ごたえがあったことでしょう。
七夕では神聖な梶の葉に和歌をしたため、願いをかけていたとも伝えられています。
ここまでくると、よく知る七夕の形に近づいてきましたね。
宮中行事は江戸時代になると民間にも広がり、人々にとって耳なじみのよい「たなばた」の音が「七夕」の漢字に当てられるようになったとされています。
いま、私たちが夏の風物詩として七夕を楽しめているのも、時代時代の人々がこの風習を守り伝えてくれたおかげと言えるでしょう。
先人への感謝とともに、会員の皆さまからお預かりした短冊は心をこめてご供養し、お焚き上げをして天へとお送りしています。
どうか、皆さまの願いが叶いますように。