大晦日に響く絆の音色
年の瀬をもし修学院で過ごす機会があれば、そっと耳を澄ませてみてください。
ひときわ高く透明な音が聞こえたら、それは林丘寺が光格天皇より拝領した鐘の音かもしれません。
後桃園天皇の急逝により、9歳で即位なさった第119代・光格天皇(在位1779~1817)。天明年間(1781~1789)に毎年起こった飢饉による人々の窮状に心を痛め、「朝廷は幕府の行うことに口を出さない」という取り決め(禁中並公家諸法度)を破って幕府にお米の配布を要求し、京都市民のために約1,000石のお米を調達した方です。
この光格天皇と林丘寺とのご縁始まりは、天皇の皇女が当寺の住職となられたこと。大切な皇女がいるお寺に天皇は、鐘を寄贈してくださいました。
そんな鐘に危機が訪れたのは、ご拝領からおよそ120年後。
日中戦争・第二次世界大戦などによる資源不足を補うため、政府は金属類回収令という鉄や銅、青銅といった金属類の供出を求める勅令を出したのです。
これに応じて鐘を提出した全国のお寺はじつに9割にも上りました。
お寺は地域の模範となるべき存在です。身を切られる思いで供出の準備をしていた当時の住職を思いとどまらせたのは、林丘寺近辺にお住いの皆様でした。
「光格天皇の鐘は残すべきだ」という住民と、「それはできない」という押し問答。
住職が根負けするや、人々は鐘楼の周りに板を張り、外から鐘が見えないようにしてくれたそうです。
200余年前と変わらない音色を響かせられるのは、あの時皆様にご尽力いただいた賜物。
地域との絆に思いをはせながら、感謝をこめて大晦日に鐘をついています。